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1 今年オスカーをとった Slumdog Millionaire の感動的な文句は It is written. ポイントは It will be written でも、 can, should, でもなく It IS written である。 字幕はどう書いてあったのだろうか。 すべては「運命」、あるいは「さだめ」である、とでも書いてあったのだろうか。 頑張ればよいことがあるよ、であれば It will be written なのだが、そうじゃなくて その人がこの世で頑張ること、そして頑張らないこともすべてもう決まっているのだ、と。 あたかも産まれるときに、赤ん坊に「ハイ、あなたは充分この苦しみに耐えられそう、だからほれ、これがあなたの運命よ」って、ポンと「運命A」ってスタンプ押されて、「ハイ、次」ってコンンベーヤーベルトで流れてきた次の赤ん坊に、今度は「そうね、ちょっとひ弱だからね、これくらい楽ちんなのにしようかしら」って「運命B」ってポンと押されるみたいな流れ。。。。 だから、この世に生を受けた暁には It is written 。ファイナルアンサー。 受け身の時制だから It is written by ......が抜けていてここに God でも Him でも、、、つまり当然これが「天」、「神」、あるいは「さだめ」。 日本語にもあるのです。こういうの。 若くして亡くなった人に対して「短い一生もらってきたわね」などと言ってみたりする。 誰かから「もらってきた」のです。だからもうそうなると決まっているのです。 「父に死なれた」、「雨に降られた」という受け身の例は日本語特有のものであるとある本に書いてあったが、これも父が死んだり、雨が降ったり「された」するのは「天」によってであり、「さだめ」によって成立したということを言う。 この例をみても、日本語の場合は、人生、あまりうまくいかないときにはよく、「これも運命」と受け止めて納得しようとする。(「運命」で結ばれた赤い糸なんてのもありますが。。。) それで頑張って成功したときには自分の努力で、「実力」があったからで、「運」は脇役になったりする。 この歳になると、人生何があるかわからない、ということも学ぶと同時に、努力したら報われる、とか、、良いことをしたら良いことが返ってくるとか、悪いことをした人にはばちが当たる、とか必ずしも子供のときに思ったように人生運ばないということをなんとなく感じるようになる。 何かそれ以上の大きな力があるような気がするときがある。 It is written なのか、それとも It will be written なのかどうなのか、自分でもわからない。 でもやっぱり It will be written と信じながら頑張って生きてみたいなあ。 そして It is written ならば、何が来ても受け止める強い気持ちで生きていきたい。 ■
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by clarendon-court
| 2009-06-28 00:54
| 日々のこと
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